「担当」への道
自分のアイマス名刺を全て捨てる。
※勿論、頂いた名刺は全て保管しています。
理由は至って単純で、担当を名乗るに値しないからである。
ビジュアルが好きだから? 声が好きだから? それで?
CDを買えば満足か? Blu-rayを買えば満足か? グッズを買えば満足か?
金を払うだけなら誰にでも出来る。
ゲームでそのキャラのことをしっかり知っているか? いや、知った気になっているだけ。
なんなら、そのゲームすら触っていない。
自分の身可愛さにかまけて、(据置含めた)ゲームをせず、曲も覚えず、イベントも走らず、グッズも買わず。コミュは飛ばして読み返さず、GREE版に至っては親愛度上限を上げたぐらいで、LV上限とそのストーリー解放もしなかった。
では一体、今まで何をしてきたのか?
考えるまでもなく、何もしてこなかったのだ。
担当を名乗る基準は人それぞれだし、当人が担当と言うなら疑うまでもなく受け入れる。
今回の自分のそれは、キャラを知った気になっていただけで、担当と名乗るには値しない。当人が担当を名乗らない、と言うだけ。
思い返せば、SideMの1stライブのLVの時から、アイマス用の名刺を持つようにしてきた。
だが、その後していたことは、キャラクターをコミュニケーションツールとして使役しただけだった。それがないと会話が出来ないと言う、コミュニケーション障害を誤魔化すために利用し続けただけ。
グッズについても同じ。グッズを身に付けていれば好きだと思ってもらえると甘えていたのだろう。
だから、自信を持って担当と言えるようにキャラのことを今よりも知る必要がある。イベントに行かないようにするとか、CDやグッズ等を買わないようにするとかネガティブな話ではない。
実際、ライブ等のイベントが終わった後は虚無感に襲われることが多かった。今まで何をしてきたのだろう、何を知っているのだろう、と。
自分から担当を名乗れる日が来るまでは、ただ「好き」の範囲でしかないという自負をして臨む。勉強中の身分として、名刺は受け取るのみにしておく。
幸い、Xbox360版からSP、2、OFAを触ることの出来る環境にあるし、GREE版も全てではないがイベントストーリーが記載されているサイトはある。
モバのイベントストーリー等は見られるか分からないが、カードの台詞を追っていくだけでも今よりはマシだと思う。
↓
紙がとても勿体無いが、相応の行為をしてきた自分の自己責任である。
真壁+舞浜のものは、4日前に刷ったばかりだった。
プリンタのインクも使いきるだけ使いきって、結局無駄になった。
正直なところ、とても辛い。繋がりを広げる機会を失いかけるようなものだから。あって当たり前の物になっていたから。
こんなに大切な物だと思っていなかった。例の青い袋に紙くずと化した名刺を入れ、その袋の口を縛ってゴミ箱に入れた。その袋を見る度、本当に辛い。
でも、取り出したところで元に戻しようがない。
使わない名刺を保存するケースを買ったばかりだった。LVやイベントに行く予定はある。
だが、その繋がりに足を踏み入れる資格がないのが事実である。早まって印刷しなければ、こんなことにはならなかった。
食事
好きを名乗る基準
人物環境
相棒DSドラマモード終了
『相棒DS』ドラマモード(ゲームオリジナルストーリー全3話)をやり終えた。
まず、『相棒』として。話はEpisode1~3どれも面白かった。1、2に関しては良い意味で平常運転な話。亀山時代ではあるが、仮に映像化しても通用するのでは。
3は「右京さんの友達」っぽく、右京の"理解者"というよりも、右京に似ている"友達"と言うに近い人物の話。しかし悲しいことに、知り合った1ヶ月にその人物は亡くなってしまう。ネタバレになるので真相の詳細は伏せるが、右京が犯行について考える時に「僕がもし○○するなら~(××はしません)」的な表現をすることがあるのは御馴染み。右京に似ているその人物は、それを見通したように右京ならここへ辿り着くだろう、と言わんばかりに暗号じみたメッセージや証拠に残していた。その証拠を得る度に、如何に根から右京と合う人間だったのだろうと考えてしまうこと。
右京と似ている、と言うのは性格・考え方だけでなく、服装や趣味(紅茶、チェス、落語etc.)に関しても最早右京と同じ。「右京さんの友達」では流石にそこまでではなかったものの、決して"理解者"という言葉では表現できない関係であることは共通している。「密愛」あたりもちょっと近い気がするが、あれはやはり"理解者"の範囲だろう。
右京の"友達"と呼べる人物二人は皮肉なことに、片方は被害者、もう片方は犯人である。特命係創設関係の話でも影のある人物であることは明白だが、上下関係やただの理解者なんかじゃない、右京と親しくなれる"はず"の人間の宿命が右京の悲運というか、そう言うのを感じさせる。
続いて、「ゲーム」として。ドラマ原作のゲームでは、イラストになることも珍しくはないと思う。しかしこのゲームは実写だ(それもあり得なくはないのだろうが)。所々動いたりもする(警察手帳を出すところや、「それです!」等台詞に連動するものもある)。台詞はフルボイスでこそないものの、相棒お決まりの場面ではボイスあり(「ひとつだけ(数パターン有)」「亀山君!」「右京さん!」「暇か?」「亀ェ!」「馬鹿者!」etc.)。DSのソフトでグラフィックやボイスまで良く揃ってるものもそんなに無いだろうし(『無限のフロンティア』辺りだとボイス数は凄いが)、充分と言えるレベル。システムボイス(?)も一応ある。ロード時に「行きますかぁ!」、中断時に「(亀山)お疲れ」「(右京)お疲れ様です」と一言。
音楽の再現度は高め。『相棒』を観ていれば曲名まで分からないにしてもどの曲なのかはすぐに分かる。スタッフロールに至っては「終わりの始まり」が流れる。
問題はゲームとしての面白さ。少なくとも推理ゲームとは呼べない。ノベルゲームと言うのが恐らく相応。選択肢があっても特に分岐にならず、決まった流れになるまで選び直させられる。しかし『相棒』のファン層を狙ったと考えればそこまでおかしな話ではなく、良く言えば『相棒DS』はあまりゲームに馴染みがない人(勿論個人差はあるだろうが90年代~00年代以降のゲーム、という表現が相応かも。要はファミコン世代か、それすらやってない人)でも出来るものに仕上がっている、とも言える。
難しい操作もあまり求められず、一部ミニゲームにはサポートもある。なので、普段からゲームをやっている人には面白く感じない部分もあるだろうが、ストーリー自体は『相棒』まんまなのでファンなら楽しむことが出来るはず。
また、ドラマモードで面白い点では「(事件、犯行に関する)仮説」や「捜査情報(or物証)」の要素がある。聞いた情報や右京が気になった部分等をまとめ、ひとつの「仮説」を立てる。それは話が進むうちに解決したり、更新されていく。事件関係者に関する事実や物証も同じく、話の中で情報が更新される。例えばテレビで『相棒』を観ている時、そう言った情報は視聴者の記憶の中に残るもので、「アレはこうだったのか、コレと繋がっていたのか」等初見であればリアルタイムで消化・更新されるが、全て記憶出来ているかと言われると決してそうではないだろう。ゲームの特性上中断することもあり得、そこも踏まえてテキストの情報が残されているのは親切。
勿論、視聴時の記憶に関する問題の解決法はある。再放送であればテレビを見ながら小説版の該当話を併読、録画であれば巻き戻せば良い。あくまでDSオリジナルエピソードを観るにあたって便利だと。
プレイ時間。3つ合わせて(余計な時間含めて)約9時間。放置時間などもあったので、集中すれば6時間ぐらいで出来るかも? もっと短い?? でも実はこれも問題点に近い要素。先述したようにテレビの1時間枠で放送出来そうな話ではある。それなら実質3時間分(CM除いたら1話50分弱ぐらい?)にならないか? という疑問が湧くかもしれない。ゲームでは捜査情報を得る為に特定の部屋でタッチ操作を求められたり、そこでの情報+聞き込み等の情報をまとめてみようという場面が1話の中に何ヶ所かあり、頻度も高い。そのため、1話のドラマとしては無駄に長い。丁寧に情報をまとめていき、話の理解度を深められるとも言えるが、話の規模も映画やSPみたいに壮大なわけでないし、ドラマで見るのと比べれば時間に見合ったストーリーではないと判断してしまうかも。
『相棒』が好きで、暇潰しが欲しいなら一見の価値ありってところか? 昼間の再放送まで……とか。『相棒』好きの中では、暇ならコーヒーか紅茶作るなり飲むなりすれば? と言う人もいそうだが(所謂「暇か?」or高所からの紅茶注ぎorブルーマウンテン再現)。