einde van de droom

感想など。

GOD'S WAR

今更ながら『サイボーグ009 conclusion GOD'S WAR』を読了(誤用だったら教えてね)。完結編と題された同作であるが、3巻までしか読んでなかったので最終章の4、5巻を読んだ。

きっかけはアギトのことを何となーく調べてたら、同作の構想を元に~とのことで、急に続きが気になった。全巻(親が)所持していたので、すぐに読める状況にはあった。小野寺丈は父親の事に関して話さないでほしい、みたいなことを言ってたらしいが同作に関しては小説版執筆という超関係者。石ノ森本人から構想を聞いていた、とのこと。

以下若干ネタバレにはなるので注意。

 

 

 

神々と戦う、それは題名にあるとおりで、石ノ森没後に多少の内容変更があってもそこは揺るがないものだった。メタフィクションであることも前から決まってきたことらしい。

しかし、何故神が出来、人間がいるかという疑問に関して、答えと言うよりも理屈付けという側面が強かった。問題はその理屈が明らかになる部分。

まずひたすら長い。人物の体感したことや経験でなく(それを出来る状態になかった)、本当にただの説明。しかしそれを避けられないような気もする、設定と情報量。単純に視覚の情報として、(イワンの台詞であるため仕方ないと言えばそうなのだが)全てカタカナだったことが余計見辛い。

個人的には説明されたその内容に関して納得出来ない点が多かったが、そもそもそこを重要視するべき作品ではないのだと思う。『サイボーグ009』の完結編が描かれたこと。それが重要であると同時に、「これが完結編だ」と言う固定的なことでもないように感じる。「こういう完結編があっても良い」という一つの可能性の提示的な部分があるのではないかと。

ただ、原作者本人が定めた完結編(内容全てがそうだった、とは言えないが)でもあり、遺された構想ノートによって断片的な情報は記されていた。何と言うか、関係者の誰かがいつか描かなければならない運命にあったものだったのかもしれない。そしてそれが小野寺丈だったから、「ああいう内容だった、こうだった。別の人(例えば島本和彦あたり)だったらきっとああでこうなって……」ってなるわけではなく。

先に可能性の提示という文言があったが、そうであると同時に生まれるべくして生まれ、完結編として存在できる唯一の作品である。だとすれば、数あるうちの一つではなく、これだけなのだ。納得するかしないかは、読んだ人各々。納得すれば、これが完結編。納得しなければ、その人の思う完結編がその人の中にあり、きっとそれで完結する。

 

話は変わるが、平井和正が亡くなって1年以上が経った。『幻魔大戦』は、完結しなかった。現在、クラブサンデー(webらしい)でRebirthが連載中ではある。『幻魔大戦』に関しては、原作者でない誰かが完結編を描けるものなのかは分からない。でもいつか、描かれることがあっても良いのではないかと。

サイボーグ009』だから、『幻魔大戦』だから。そうではなく、生まれた作品にはどれにでもきっと完全な終わりを求められている。

今の自分に、強くそれを追おうと思える作品は僅かにしかない(2つぐらい?)。それはあくまで自分の話であって。これから生まれるものも、これから終わるものも。例え原作者が亡くなってしまうことがあっても、受け継がれるほどの作品自体のエネルギーだけでなく、受け継ぐ勇気や実力のある人達が終わらせてくれれば、なんて。