einde van de droom

感想など。

恐怖

去年、成人式の時。特別仲が良いわけでも悪いわけでもなく、気になる奴でもない同級生が、「俺のこと覚えてる?」と。今思えばその場の雰囲気っつうか話題作りっつうか、そう言うのだったのかもしれない。でもその時自分が感じたのは、忘れられることを怖がっているのか? という疑問だった。
その人とは高校生の時にも会ってる。忘れるわけがない。実際、皆互いに覚えていただろう。でもその場その時とは別に、忘れられることを恐れる人間がいることを知った。
自分は違う。そう思っていた。どうやらそうではなかったらしい。自分もその人間の一人だった。
精神的もしくは肉体的苦痛だとか死だとか。恐怖とは、それぐらいしかないのかと思ってた。忘れられることが精神的苦痛の一つと捉えることは出来るが、苦痛という表現が個人的には釈然としない。

勿論、精神的苦痛(程度の比較は出来ないが)も多少はある。次の就職先が全く想像できない。公務員は試験が通らないだろうし、仮に通るとしても税金を貰って働くのは気が引ける。会社員ならそれもそれで、前職で散々な思いをしたために職種の選定に困っている。
しかし現在の生活が続いてはいけないのだ。遅く起きて、何もしないで寝る。その時間に仕事に勤めている人がいるのに、同じ時間を生きているのに酷く楽をしている。それは寄生である。どうすれば良いのか分からない。
就職先を見つけても、どうせすぐに文句を言って辞めるのだろう。遠くは見えているのに、そこまでの過程は全く見えない。見えたところで、また同じことを繰り返す。その循環に陥ることを、この3ヶ月間恐れていたのだと思う。
先端が曲がっているだけではなく、全てが錆びている。そんな釘の使い道なんて無い。あったとしても、釘本来の役割ではない。捨てた方が効率的だ。その自覚がありながら、ただ逃げ続ける日々。
前職が嫌だった。最初から嫌なことだった。好きなことが嫌いになるのが怖かったから、嫌いなことを無理矢理自分にやらせた。何のプラスにもならなかった。無駄だった。それを辞めた今。結局それも無駄だった。答えが分からないから空白にする。試験としてはそれは過程だとしても、結果として空白ならばそれは無か負。
偏差値40未満の私立高校、自分の実力を知らずやりたいことだけを見て入った専門学校。そしてこの結果、この有り様。どんな唐突でも良い、終わってくれ。